【このリリースがすごい!】0番線と夜明け前「人が死ぬ映画」| アイドルはどのように死を歌えるか
音楽ファンは要チェック、注目のリリースをレビューする特集企画『このリリースがすごい!』。今回は、アイドルグループ・0番線と夜明け前のシングル「人が死ぬ映画」をご紹介。
アイドルは、どのように「死」を歌えるだろうか?
20年代のライブアイドルシーンは、”本物志向”な先鋭性でアイドルポップスの可能性を切り拓いた10年代の楽曲派グループたちを参照しつつ、より包括的な表現によって各ジャンルに新たな美的感覚を付与するグループが日々ライブハウスを賑わせている。関西でその一翼を担っているのが、京都発の0番線と夜明け前だ。ポストロックやシューゲイザーの系譜にあるバンドサウンドを軸とし、無所属・メンバー自身によるセルフプロデュース体制で活動を続けている。そんな彼女たちが1月28日にリリースした新曲「人が死ぬ映画」はセンセーショナルな一撃だった。
作編曲およびギターを手がけたのは、夏botこと管梓(エイプリルブルー、ex. For Tracy Hyde)。RAYやairatticへの楽曲提供のみならず自ら運営メンバーとしてponderosa may bloomに立ち上げから携わるなど、シーンのキーパーソンとして信頼を集めてきた。本作では、アイドルというメディアの表現許容度をさらに押し広げるような一歩踏み込んだアプローチに挑んでいる。
甘く儚いアルペジオに導かれながら、「人が死ぬ映画ばかり観ている。」という鮮烈なフレーズで幕を開ける「人が死ぬ映画」。メロディラインは驚くほどシンプルだ。3小節の旋律と1小節の沈黙が、サビでは一オクターブ上でエモーショナルに、それ以外ではどこか醒めた視線を帯びながら反復されるのみ。削ぎ落とし磨き上げた先で美しい退廃性だけが残る構造は、菅が影響を公言する(曰く「実家のような存在」だという)ART-SCHOOLのメソッドを想起させる。
そのメロディを引き立てるアレンジメントも精緻だ。幻想的なクリーントーンと歪んだコードストロークを往復するギターが、詞世界の感情描写を支えることに徹する。一方で、For Tracy Hyde時代からの菅の盟友であるMavによるベースラインは歌うように動き、楽曲に血流を与える。この音層のコントラストが、生々しい感情の蠢きを奥行きある形で立ち上がらせている。
そうして辿り着く、轟音の中の「ひとがしぬ。」のリフレインと、「わたしたち、/いきている」という再確認。期限付きの生命を持ちながら永遠を装い続けることを宿命づけられたアイドルグループが歌うからこそ、その対比は痛いほどに切実だ。
目を背けたくなるシーンが少なくないMVもまた、アイドルファンの間で話題を呼んだ。それぞれの日々を過ごす3人と、それをスクリーン越しに見つめる彼女たち自身。現実と虚構の間を彷徨いながら、生と死の境界線を行き来する。「生きたい」と「死にたい」、俯瞰と主観が転倒して、いくつもの死の中に埋もれかけるいくつかの死が、無数の生の中にある一つ一つの生を眩しく輝かせていく。
需要と供給のラリーが生む安心や達成を飛び越えた挑戦を、突飛な話題性や炎上マーケティングに頼ることなく、純粋な表現として提示した「人が死ぬ映画」。すでに「なんでもアリ」であるアイドルソングにアートとしての強度を刻み込んだ、尊く貴重な一曲だ。
