WONDERVER インタビュー |「ひらけたバンドでありたい」常に高い完成度を追求し続けるシンセポップバンド
シンセポップバンドWONDERVER。そのライブのステージにはたくさんの楽器がずらりと並び、1人が扱う楽器は2台以上。ドラム以外の全員がキーボードを扱い、ステージ上にはキーボードがなんと計5台と、スリーピースとは思えないサウンドで聴くものを魅了し、SUMMER SONIC 2015にも出演を果たしている。今回はそんなWONDERVERの村上奈津子(Key)、藤本諒(Gt/Key)、相澤龍伸(Vo/Key)に話を聞いた。
出会いは路上での弾き語り
——まず自己紹介をお願いします。
相澤龍伸さん(以下、相澤):ヴォーカルの相澤です。
村上奈津子さん(以下、村上):キーボードの村上です。
藤本諒さん(以下、藤本):ギター・キーボードの藤本です。
——バンドを結成するまでの経緯は?
相澤:僕と村上はWONDERVERの前のバンドから一緒だったんですけど、前のバンドが活動休止になり他のメンバー2人が抜けて、僕と村上だけが残ったんです。とりあえずベースとドラムはサポートを迎える形にしてギターだけは正式なメンバーをと探していたところ、共通の知り合いが彼(藤本さん)を紹介してくれて、今の形になっていますね。
——相澤さんと村上さんはいつ出会われたんですか?
相澤:18歳の時かな?僕と村上は北海道出身なんですけど、飲み屋街の路上とかで弾き語りをしていると、投げ銭でお金を入れてくれることってあるじゃないですか。それで稼いでいる友人の影響で15歳の頃に弾き語りを始めたんです。リサイクルショップでギターを買ってきて、路上でコードとか教えてもらって(笑)。 そうやって僕が路上で歌っているのを村上はお客さんとして見に来ていたんです。
村上:もともと違うことをやっていたんですけど、バンドへ引きずり込まれました。
相澤:僕が初めてバンドを組むとき、ピアノが弾ける人を探していて。その頃はもう友達になっていたので、「ピアノ弾けたよね!」って言って誘いました。
村上:「ヤダ」って言ってたのに(笑)。
相澤:気づいたらここまで引きずってきましたね。
——藤本さんはどちらのご出身なんでしょう?
藤本:僕は長野ですね。
——でも、3人での結成は都内なんですね。
藤本:そうですね。出会う3年くらい前から東京に住んではいて、今のWONDERVER結成のときに先輩の紹介で知り合った感じです。
——相澤さんの音楽は路上での弾き語りから始まりましたが、音楽に興味を持ち始めたきっかけって何でしたか?
相澤:音楽に、というよりも、自分の曲を作ろうと思ったのがきっかけでしたね。路上では人の歌ばかり歌ってお金をもらっていたので(笑)、作るにはまずいろんな音楽を自分の中に入れなきゃわかんないだろうなと。それからいろいろ聴き漁り始めました。
——作りたいって思ったのがきっかけで音楽を聴き始めるって何か新鮮です。
相澤:そうですね。それまでは流行っているものやみんなが聴いているものしか聴いていなかったです。
ルーツとなる音楽
——次に、WONDERVERの曲作りや詞の作り方について伺わせてください。曲と詞はどちらを先に作られていますか?
相澤:曲です。曲から詞まで1人で作っています。
——おひとりですべて作られているんですね。曲を作るにあたって、ご自身の聴いてきた音楽からの影響はありますか?
相澤:もともと負けず嫌いで、バカみたいに音楽を聴いてたんです。人との会話の中でアーティスト名を出されて「〇〇知ってる?」って訊かれたときに、自分がそのアーティストを知らないのが悔しくて。狂ったように聴いていました。
——ジャンル問わずですか?
相澤:ジャンル問わず何でもでしたね。くまなく聴いていました。ジャズやクラシックも聴いてたし、海外インディーに、もちろん邦楽も、どこ突かれても大丈夫な人間になりたいと思って(笑)。20歳くらいのときはホントに……。
村上:尖ってたね(笑)。
相澤:だからもともと、いろんなものが好きだったんです。でも、自分が曲を作るってなると別だなと思っていて。前のバンドのときは路上のときからずっとやっていた歌モノをやっていたんですけど、何故か誰に言われたわけでもないのに、自分はそういうものしかできないと思っていたんです。例えば、マイケル・ジャクソンが好きだからってR&Bが作れるなんて思っていなくて。歌モノだけずっと作っていたけど、活動休止して、じゃあ今度はもっと好きなモノに寄せたジャンルというか、音楽をつくってみようかなと思って、今のWONDERVERの曲を作り始めた感じですね。
——好きなモノに寄せるというと?
相澤:例えば前のバンドをやっていた20歳くらいのときは海外のインディー…当時だったらKitsuné(フランスのインディペンデント・レーベル)とか。あのへんが台頭していて…Klaxonsとか。Late Of The PierとかCSSとかを聴いていたり。ジャネット・ジャクソンとか、メアリー・J.ブライジとかのR&Bシンガーも好きだったりして。
前のバンドが活動休止になって、そのあと同じことをもう1回やってもダメだと思ったんです。やっぱり何かしらトピックとして話題になるものじゃなきゃダメだと思って。それで日本ではまだあまり見ないような、シンセポップとかエレポップにR&Bとかファンクとかを詰め込んでやってみようと決めて、曲を作り始めました。曲を作り始めた頃は立て続けにボツを連発して、「A L O N E」がやっと納得できた1曲目なんですよ。「コレ、いける!!」って初めて思えた曲でした。完成するまで1年以上かかりましたね。その時に、自分が好きな音楽を自分が演奏することも出来るんだな、ってやっと気づいたんです。前のバンドをやっていた頃はそういう考えがありませんでした。
——なるほど。「A L O N E」を聴いて、とても洗練されていて完成度が高いなと思っていました。ずっと悩んで悩んで、曲を作り続けるっていう過去があったからなんですね。
相澤:スネアとか、トラックの1音まですごくこだわって作りましたね。で、あれが11曲目なんです。「A L O N E」まで10曲ボツってて。
——10曲も!?
相澤:だから「A L O N E」がなかったらたぶん、まだ活動再開できなかったと思います。あれができてだいぶ自信になりましたね。「俺、イケんじゃん!」って。
——ずっと試行錯誤の繰り返しだったんですね。
相澤:そうですね。
曲作りにおけるこだわり
——おひとりで曲を作られるとのことでしたが、ご自身は結構多くの楽器を弾けるんでしょうか?
相澤:そうですね、ピアノ、と言ってもコードが弾けるくらいと、あとはギター、ドラム、ベースですね。アレンジもやっています。メンバーに聴かせるデモ音源の段階で全ての音ができていないと、その曲のイメージを掴みづらいし、モチベーションが上がらないと思うんですよね。そうやってデモ用にいろんな楽器を自分で演奏して録音していたら、それなりにできるようになってました。
(おもむろに曲を流し始めて) 最近知ったんですけどこのバンド、格好いいですよ。
村上・藤本:(笑)。
——何か、WONDERVERと似ている感じがします。
相澤:新曲です。
——あ、そうなんですね。
藤本:相澤さんは僕たちにもこうやって新曲をもってくるんです(笑)。
——新曲はいつもどの程度まで仕上げて皆さんにお披露目するんですか?
相澤:すぐにリリースできるくらいまでですね。今公開している4曲も、メンバーに「新曲できたよ」って聴かせた時点でほぼあの状態でした。中途半端な状態のデモでみんなに「これやるよ」って聴かせても、そんなにテンション上がんないと思うんですよ。「H E A R T」のほうが楽しかったなとか、格好良いのにって思われるくらいだったら、完成させきってから聴かせたほうが、メンバーそれぞれが演奏するときの自信にもなるのかなって。
村上:そう。いつもデモの完成度がめちゃめちゃ高いです。
相澤:そこも負けず嫌いなところの表れだったりして。妥協したものでなめられたくない、みたいな。頭ん中のものを完璧に形にしてからみんなに渡したいんですよ。でも最近は時間をかけすぎていて、ちょっときついなと思ってきています(笑)。
——メンバー皆さんで一緒にアレンジを考えたりとかはなさらないんですか?
村上:一時期一緒にしてたけど、あんまり……。
相澤:1人でやっていて何も浮かばないとつらくなってくるし、村上は僕よりもコードの理論とかに精通しているので、サポートしてもらっていたことはあります。その頃はまだ彼(藤本)とは出会ってなかったですね。
藤本:出会ったときはまだ「A L O N E」は仮歌で歌詞もなくて。でも、その時点では「H E A R T」までデモがありましたね。
——「A L O N E」が出来てからは、曲もぽんぽんできていったんですか?
相澤:「G H O S T」ができるまで4曲ボツって、「M E L L O W」までにまた3曲ボツってみたいな(笑)。「H E A R T」が、それまでにボツになったものも全部合わせたら21曲目ですね。
藤本:23、24、25曲目はすぐ決まりましたよね。
相澤:もうライブが決まっていた頃で、ボツにしてる暇がないので立て続けに3曲採用してました。で、最近そこからまた6曲ボツって、31曲目が出来て。今、34曲目を作ってます。
——あがっている4曲を作るまでにかなりの曲を作ってきたんですね。
相澤:ライブで演奏できる曲はまだ10曲ぐらいしかないんで、全然まだまだです。急がなきゃってくらいですね。
歌詞の特徴的な世界観
——曲調がガラリと変わっていますね。
相澤:「G H O S T」はNew OrderやDepeche Modeとか意識していますね。「G H O S T」を作った当時の僕はこういう音がやりたかったんだと思います。
——やはりご自分の好きな音楽が反映されているんですね。
相澤:そうですね。あとは後期のGangwayとか。
——Gangway、サマソニのアーティストページでもリスペクトアーティストとして紹介されていたのを拝見しました。「G H O S T」で曲調的にはガラッと変わった後、また「M E L L O W」で「A L O N E」のようなポップ調の曲に戻っていますが、曲作りはいかがでしたか?
相澤:楽曲制作において常にやりたいことが多岐にわたっているので、「M E L L O W」はあくまでもそのひとつでした。自分としても、自分がどういう曲を作ることができて、どういう曲を作ることに向いているかがわからなかったので、まずはいろんな曲を作ってみようと思っていた時にできました。ポップに戻ったというより、実験するような感覚で作りましたね。今はアルバムに向けて、それぞれの曲がちぐはぐにはならないように使う音を統一して、いろんなタイプのものを作っています。
——今、SoundCloudに上がっているのが「A L O N E」、「G H O S T」、「M E L L O W」、「H E A R T」の4曲ですが、タイトルや歌詞に人の感情のような部分が見えてきます。4曲の詞作りで一貫していることってありますか?
相澤:そうですね、活動休止してから再開するまでに2年くらいあったのですが、その間ずっと1人で曲を書いたり歌詞を書いたりしていて、やっぱりその……人生どん底みたいな感じだったので、明るい歌詞が全然書けないんですよ(笑)。だったらもう、すごい陰鬱な曲ばっかりってコンセプトを決めて10曲~15曲くらい作ってアルバムにすれば、まとまるんじゃないかなと思っていて。あ、でも、もともと歌詞はああいう感じかも。
——やはり、歌詞はご自身の思いが。
相澤:「M E L L O W」とかはフィクションの物語がある感じで、その物語は僕自身に起きていないことだけど、主人公の彼と思っていることは同じというか……。自分も思っていることだけど、置かれている状況は違っていて。でもみんな思っていることは一緒、みたいな。どの曲も一貫して。たとえば「A L O N E」で、≪誰か僕をみつけてほしい≫みたいな歌詞があるんですけど、「M E L L O W」や「G H O S T」の主人公も、根幹で思っていることはたぶんみんな一緒なんですよね。みんな同じ気持ちなんです。
——それは相澤さん自分自身なんでしょうか。
相澤:なのかな。曲それぞれの状況は全然違うんですけど、内心思ってる気持ちはみんな同じというか。全部が“孤独”の歌なんですよね。今、SoundCloudに上がっている4曲も、まだ上がっていない曲も今のところ全部“孤独”にまつわる歌詞で。アルバムを作るんだったら、なにかそういうコンセプトでまとめたいっていう考えがあります。
——そうだったんですね。「A L O N E」の歌詞を聴いて、サビの「だから僕のことを/誰か僕のことを/早くみつけてほしい」というフレーズがすごく印象的で、それが活動再開までの2年間を表しているんじゃないかなと。
相澤:そうですね。端から見たときに、ストーリーとしてわかりやすくしたいとは思っていました。
——ちなみに、いまSoundCloudで上がっている4曲はすべてTuneCore Japanから配信していただいていますね。はじめどこで知ったのでしょう?
相澤:配信周りも僕がやっていて、iTunesで配信する際にどこを使うと一番効率がいいのかなと調べていて知りました。結果、TuneCore Japan一択だなと。いつも(配信されるまでが)早くて、毎回びっくりしています。
——実際に使われてみて、いかがでしたか?
相澤:非の打ち所がないですね!売り上げがグラフで見られるので、毎日見ています。iTunesだと曲が売れた都道府県まで分かるんですよ。素晴らしい!
——ありがとうございます。4曲それぞれにボタニカル柄のアートワークが使われていますが、何かコンセプトがあるのでしょうか?
相澤:そうですね、Washed OutやMaroon5も同じことをやっていて、ここ何年かは特にボタニカル柄が流行っていたんですね。それでアートワークで明確に表現したいこともまだ特になかったので、僕たちもアートワークは花でいこうかって話をしてるときに、彼女(村上さん)がもうあのアートワークを描いてくれていたんですよ。アートワークの1/4ぐらいを村上がアナログで描いて、デザイナーがそれをうまく引き延ばしてテキスタイルにして、曲ごとに加工しているんです。元のアートワーク自体は一緒で、特殊効果を毎回変えている感じですね。
今後の展望
——話は変わりますが、7月4日に下北沢THREEで行われたライブ(FunLandRyCreation&mao presents“PATH”)を拝見させていただいたのですが、ライブではメンバーの皆さん全員が1人で2つ以上の楽器をされていて驚きました。毎回ライブではこの体制なんでしょうか?
相澤:毎回そういった体制ですね。
——ライブではシンセを5台も使われていましたが、WONDERVERのシンセに対するこだわりについて教えてください。
相澤:80年代のインディー・ポップとかエレクトロ・ポップって電子楽器がすごい使われていた時代で、有名なプロデューサーがシンセやリズムマシンをいっぱい使っていたんですよ。The Human Leagueとか、ゴリゴリのシンセ・ポップをやっている人たちがメインストリームで売れていた時代だったんです。例えばジャネット・ジャクソンとかR&Bやポップ・ミュージックをやっているミュージシャンからもその畑のプロデューサーに、依頼がくるんですね。その人がジャネット・ジャクソンをプロデュースすると、自然と曲がエレ・ポップになっちゃってるような時代だったんです。
僕はそのおいしいところ寄せ集めたみたいな時代の音楽が突出して好きで。でも僕らが使うシンセの音は、その時代のものとも今のEDMとかともちょっと違う。なんて言うんだろう……。RolandのJunoの音とか、EDMとかダブステップと比べると全然丸いアナログな感じの音が好きなんですけど。80年代のってもっと太くて、モノラルっぽくて……。Metronomyとか、CHVRCHESとか、今でもメインにJunoを使う人たちも多いですよね。でも、「EDMやってみたい!」って思い立って深夜に勢いで作ったんですけど、朝起きてその曲を聴いたら、すぐボツにしたこともありました(笑)。思わず「何コレ?」って笑っちゃいましたね(笑)。
——流行りも意識はされているんですね。
相澤:しています。今年のSONICMANIAも超楽しかったし、流行っているものは大体好きなんです。アンダーグラウンド志向みたいなものはないです。J-POPも大好きだし……ひらけたバンドでありたいと思っていますね。そうなるとやっぱりどうしても流行に乗っちゃう感じにはなるのかな。でも、やりたいことをねじ曲げてまで流行に乗らなくちゃということはないです。
——WONDERVERさんといえば今年のSUMMER SONIC 2015にご出演なさいましたが、当日はいかがでしたか?
相澤:楽しかったです。
——「出れんの!?サマソニ!?」への応募のきっかけは何だったんでしょう?
相澤:2012年に「出れんの!?サマソニ!?」の最優秀賞であるクリマン賞をとった先輩がいるんです。その先輩と対バンしたときに、「WONDERVERは絶対(出れサマに)出られるから応募した方が良いよ!」と言っていただいたことがきっかけで応募しました。
——前日のSONICMANIAでは、ラジオ出演もされていましたよね。その点サマソニに関して、一気に大勢の人の目や耳に届いたことになったかと思うのですが、どういったご心境でしたか?
相澤:いや、まだまだこれからというか。もの足りない、まだ何もできていないのと同じ感じでした。フェスに出ることができたからどうなる、っていうわけでもないんですよね。(選考に)落ちなくてほっとしたくらいで……。むしろここからであって、「まだまだ足りない」と感じました。今って波及させる力とかプロデュース能力とかもすべてアーティストに求められる傾向があって、インディーとメジャーの垣根なんて無いって言うじゃないですか。でも、僕はそんなこと絶対ないと思っているんです。1人で全部のことなんてできないし、僕は集中して曲だけ作っていたいので、メジャーでしかやりたくないですね。それが今の目標です。
——最後に今後の展望をお聞かせください。
藤本:プレイヤーとして目を引くようなパフォーマンスだったり、存在感を出していきたいです。
村上:みんなが楽しめるようなライブにします!
相澤:なるべく自分たちの力で盛り上げるライブバンドではありたいですね。ライブも結構、音源そのままでやっています。それは打ち込みを使うバンドとしての責任だと思っているので……。常に楽しいライブをしたいです。そして早く主催側から声がかかるバンドになりたいですよね。サマソニもベイキャンプも、こちらからの応募というかたちでの参加だったので。まずはバンドが知られていくことを目指して、日々いろんなことを模索していきます。
WONDERVER
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