Starceed インタビュー 「音楽が私を連れて行ってくれるところまで行きたい」ロサンゼルスにてキャリアを磨いた注目の新世代アーティスト
大阪出身、ゴスペルのバックグラウンドを持ちロサンゼルスにてキャリアを磨いた注目の新世代アーティスト・Starceed。海外での生活や数々の困難な経験を反映した独自のスタイルと卓越した歌唱力で注目を集めている。先日はマイクパフォーマンス動画チャンネル「NEOWN」にも登場、12月15日には新たな境地を開いたシングル「No Fear」を発表したStarceedに、そのバックグラウンドから活動スタンスなど話を聞いた。
音楽への道を決定づけたロサンゼルスでの経験
——Starceedさんは大阪のご出身ということですが、もともと音楽に興味を持ったきっかけというのは?
小学校3年生くらいからたくさん音楽を聴くようになって、日本のアーティストだと西野カナ、海外だとアヴリル・ラヴィーンが両方大好きでした。
——今のスタイルからすると少し意外ですね。
そうなんですよ(笑)。
——それからどういう経緯で自分でも音楽活動をするようになったんですか?
中学生の時、カラオケにいったら友達から歌上手いねって言われて、それが学校でも広まったりして自分でも歌に対する情熱をだんだん持つようになりました、高校時代には趣味程度、年に何回かですけど教会でゴスペルも歌うようになって。ただ、その頃はまだ自分で曲を作るという考えが頭になくて、とにかく歌を磨いていきたいっていうのと、海外のアーティストの歌や表現のバックグラウンド、ライフスタイルを実際に知りたいなと思ってアメリカに渡ったんです。そうしたら、向こうで音楽が好きっていう人はみんな自分自身の歌を持ってることを知って、そこで初めて自分にも自分の歌が必要なんだって実感して、それで気づいたら作詞に夢中になっていました。最初は自分の詞に自信が持てなかったんですけど、最近はやっと自分なりの表現が分かってきた感じがしています。
——アメリカにはどれくらい住んでいたんですか?
2年くらいです。とにかく音楽やってる人ばっかりいる環境に身を置くようにして、みんなどういう風に生きているのかを自分の目で見て肌で感じて。英語にも接して上達していくうちに、向こうの音楽や文化への理解を深めることもできました。
——ライブとかもけっこうしてた?
コロナ禍になるまでは、路上ライブをほぼ毎日やってました。誰かに見つけてもらいたいんだけど、どうしたらいいか分からなかったんで、じゃあとにかくストリートで歌ってみようと思って。
——そこからつながりができたり?
そうですね、音楽の友達も増えましたし、そのうちスタジオにも呼んでもらって向こうの制作現場を体験することもできました。
——そういったバックグラウンドをお持ちなんですね。そして今年国内で本格的に活動を開始したと。
日本で音楽をやるにあたって、やっぱり日本のオーディエンスに歌を届けるのであれば日本語の詞にしようと変えたんですけど、いざ日本語で詞を書こうとしても最初は全然書けなくてちょっと苦労しました。