日本猿インタビュー 「自己満足で終わって死ぬのが一番嫌」 ダンサブル&インテリジェントなネクストスター、覚悟の新章へ
今年8月に公開された『RAPSTAR 2025』応募動画にて、急所を連続突きするようなライミングとフロー、鋭いワードセンスを見せ付けネクストスター有力候補に躍り出たラッパー・日本猿。惜しくも続くサイファー審査に進出とはならなかったものの、10月22日にはその悔しさを綴った新曲「2025 freestyle」をリリース。同楽曲では落選の報せを受け会社員生活にピリオドを打ったことを明かしており、ラップに身を捧げるという覚悟が伺える。野性的なステージネームとは裏腹に内省的で知的な楽曲に、青い炎が見え隠れする。
取材・文:サイトウマサヒロ
非日常との出会いが導いたラッパーへの道
――HIPHOPとの出会いについて教えてください。
HIPHOPというジャンルを認識して聴き始めたのは高校生くらいの時でした。舐達麻やANARCHYさんを知って、カッコいいなって。僕としては、ドラマを観てるような感覚だったっていうか。周りにそういう人がいなかったから非日常のように感じて、「そんなこと言っちゃうんや」っていう衝撃からのめり込んでいきましたね。
――ラッパーになる前は、サッカーに情熱を注いでいたんですよね?
そうですね。幼稚園から大学2年まで週5〜6でやり続けてたので、しっかり体育会系みたいな感じでした。ただ、大学1年の終わり頃にラップをやり始めてから、もっと音楽をやりたいと思うようになって。一番やりたいことに時間を使えてないように感じて、1年くらい迷った末にサッカーは辞めました。
――リスナーではなくプレイヤーになろうと思ったきっかけは?
2021年の『ラップスタア誕生』ですかね。それまで、普通に生きてきた人間である僕がラップをするのはちょっとちゃうんかな?と思ってたんですけど、当時大学院生だったSkaaiさんを見て、こういうバックグラウンドでもやってええんやなって気付かされて。周りにはラッパーはおろかHIPHOPを聴いてる人も全然いない状況だったんですけど、一人で始めました。僕自身、サッカーと同じくらい勉強に力を入れてきたんですよ。
――その辺りは、「epigonen」の“アカデミアとラップの双頭”、「intercept (feat. Catarrh Nisin)」の“頭が良いとか武器になるんならくれてやる俺の学歴”といったラインでも示されていますね。
受験勉強もめっちゃハードにやってましたし、当時はやりたいことよりもやらなければいけないことに囚われてましたね。今はもう、学歴とかほんまにいらんなって思います。もちろんそれも自分の大切なバックグラウンドだとは思うんですけど。
――舐達麻やANARCHYさんがそれまでの人生と異なる世界を教えてくれて、Skaaiさんがそこに飛び込む勇気を与えてくれたと。
はい、そうですね。
――日本猿さんのディスコグラフィーをなぞってみると、制作時には大学生だったであろう初期作品の段階で、かなり音楽に賭けてるという思いが伝わってきます。
その時には全然根拠のない自信があったからデカいこと言ってるっていうのはあると思うんですけど(笑)。とはいえ最初から別に趣味で続けようとはまったく思ってませんでした。これで食ったろって。
――日本猿というステージネームにはインパクトがありますが、由来を教えてください。
遡ること20年くらい前なんですけど、小さい頃におじいちゃんと山登りしていたら、僕の二倍くらいの大きさのニホンザルが目の前から現れたんですよ。それがヤバくて。めちゃくちゃ怖いけど、なんかカッコいい。そういうオーラを感じたんです。それが脳裏に残ってて。実際、僕はふざけてるし落ち着きもないし、猿っぽいところがあって。横文字が多いシーンの中でのインパクトも狙いつつ、日本猿と名乗ることにしました。
――ここまで名前が挙がった方々以外に、影響を受けたアーティストは?
ダンスミュージックはすごく聴いてたので、神戸の先輩であるtofubeatsさんからは影響を受けてますね。でも、あまり憧れを持つタイプではないので、「この人のようになりたい」みたいなのはそんなにないです。
――なるほど。リスペクトするサッカー選手とかは?
リリックでも言ってるんですけど、本田圭佑はめっちゃ好きですね。高校の時に「本田圭佑になるには」っていうレポートを書いたりもしました。好きなところは、めっちゃビッグマウスやけどそれをちゃんと実現させるところ。全然物怖じしないところ。一番は、PKで真ん中に蹴れるところですかね(笑)。
――ラッパーに必要な精神性と通ずるところもあるかもしれない(笑)。作品を重ねていくにつれてUKベースミュージックの色合いが濃くなっていますが、その経緯は?
父がm-floを車や家でよく流してて、それを幼少期に聴いてた影響は大きいと思います。ただ、ラッパーになるまでUKガラージっていうジャンルを知らなかったんですよ。でも、お気に入りのプレイリストに入れてる曲を調べてみたら全部UKガラージだっていうことにある日気付いて。自分でもやってみたら、普段から聴いている分スムーズだし楽しいしっていうので、ダンスミュージックやベースミュージックで曲を作るようになっていきました。関西にはあまり近いジャンルでラップしてる人がいないので、僕や僕の仲間からムーブメントを発信していけたらなと思ってます。
――そういった音楽性を突き詰めていく中で、現在多くの楽曲を手がけているトラックメイカー・RhymeTubeさんとの出会いは大きい出来事だったんじゃないかと。
元々楽曲が好きで聴いてたんですけど、去年1stアルバム『Jape Rondo』をリリースした直後、急にRhymeTubeさんにフォローされて、ビートをたくさん送っていただいたんですよ。「マジで?」みたいな。アルバムも全然(再生数が)回ってない中だったので、かなり嬉しかったです。で、最初はストックのビートから制作を始めたんですけど、何曲か作るうちにフィールするところがあって。今は電話やZoomで会話をしながら一緒にやらせていただいてます。
――制作をともにするようになって起きた変化はありますか?
自分の理想とする音楽にグッと近付いたと思います。お願いしたら1週間とか、早い時には翌日にビートが送られてくるし。「こういうビートが欲しい」っていうのを言語化するのって難しいと思うんですけど、RhymeTubeさんは自分の思ってるものをそのまま曲にして返してくれることが多くて、ビートに対する解像度が近いんかなって感じます。
