落合渉 インタビュー 歌詞を何よりも大切に、日常の”当たり前”をブレずに届け続けるシンガーソングライター
2015年からシンガーソングライターとして本格的に活動をスタートした落合渉。ストリートライブをメインにしていた大阪から現在は東京に拠点を移し、昨年5月にリリースした3rdアルバム『ノンフィクション』収録の「君が隣にいることいつか当たり前になってさ」が、徐々にネット・SNSを中心に話題となり、今年1月11日にはSpoptifyのチャート「日本バイラルトップ50」の2位にチャートイン。1月13日にはチャート1位を記録し、その後現在に続くまでチャートインが続いている。共感を呼ぶ歌詞と自らの信念に基づき音楽活動を続ける落合渉は、どうしてストリーミング時代の今ヒットを生むことができたのか。バックグラウンドを含め話を聞いた。
目次
ロングヒットとなっている「君が隣にいることいつか当たり前になってさ」
——落合さんの楽曲「君が隣にいることいつか当たり前になってさ」はSpotifyの日本バイラルチャートインを今も続けていて、今年のはじめには1位にもなりましたが、ご自身ではその動きにはすぐに気付かれましたか?
1位になった時点では気付いてなかったですね。その後少し経ってからファンの方がSNSにそのことについてアップしているを見てはじめて気付きました。その時は3位ぐらいで、THE MAGAZINEの記事を見て、その前には1位にもなってたんだって知りました。
——楽曲が広がったきっかけにTikTokが大きな役割を果たしていると思うのですが、そもそもその兆しはありましたか?
その前にリリースした「浴衣と花火」っていう楽曲があるんですけど、あるカメラマンさんがTikTokでその曲を使ってくださって、それが広まって「浴衣と花火」のYouTubeの再生が伸びたという動きがまずあったんです。「君が隣にいることいつか当たり前になってさ」は「浴衣と花火」と続きの楽曲になっていまして、MVも同じく続きのストーリーを表現しているんです。なので、「浴衣と花火」のYouTubeの流れで今度は「君が隣にいることいつか当たり前になってさ」のMVがYouTubeでも再生が伸びて。その後に、TIkTokでさらに火が着いたんだと思います。
——あの長いタイトルも敢えてつけられた?
かなり長い楽曲タイトルなんですけど、僕は歌詞の一番ポイントとなるところを曲のタイトルにするようにしているので、「君が隣にいることいつか当たり前になってさ」に関してはやっぱり自分としても最も大事な部分だったので、そのままタイトルにしました。
——これまでストリーミング配信に対してはどういうスタンスでいましたか?
路上ライブから活動をスタートしたこともあって、ストリーミングで配信すると手売りのCDが売れなくなるんじゃないかっていう気持ちもあったんですけど、「浴衣と花火」が広まり始めたのを機に、もう解禁してしまおうということでストリーミングの配信もはじめました。
——今回のストリーミングでのヒットを受けて、何か具体的な変化はありましたか?
やっぱりライブの予約をしていただける数が目に見えて増えましたね。あとは、JOYSOUNDさんからカラオケ配信のお話を頂いたり、ラジオでもかけて頂けたり、その他にも今までにはなかったようなことが起きはじめているのを感じています。
——TikTokやSNS等は以前からアーティスト活動で積極的に活用されていましたか?
実をいうとSNSはそんなに得意じゃなくて、そこまで上手く使えてたわけじゃなかったんです。でも、シンガーソングライターとしての強みを伝えるにはどうやったらいいんだろうって考えていた時に、路上以外でもちょっと肩の力を抜いて伝えてみようということで、あるあるネタや少し面白みのある1分ぐらいの即興の曲を作ってTwitterに毎日動画をアップしはじめました。ただ、あまり反応が良くなかったんでTikTokで同じことをやってみたら、けっこう良い反応をいただけるようになって。ただやってるうちに、もともと面白いテイストの歌をやりたいわけではなかったので、今は改めて自分のオリジナルソングを投稿するようにしています。
@ochiai_wataru 大切な人が隣にいることは決して当たり前じゃない。#落合渉 #この楽曲がtiktokで使える様になりました #おすすめのりたい #mv #君が隣にいることいつか当たり前になってさ
——アーティストおいてはキャラクターやそれにまつわるトピックもリスナーが興味を持つ部分だと思うのですが、真っ直ぐに楽曲が勝負のSSWとして今回改めてどの部分がリスナーに刺さったと思いますか?
正直、本当に全然分からなくて自分でもびっくりしています(笑)。ただ一つ確実に言えるのは、自分がSSWとしてやってきたことは一度もブレてないということ。僕はとにかく歌詞を何よりも大事にしていて、それが届いたんじゃないのかなと思います。どんなに楽曲の発信の方法や届け方が時代の流れの中で変わっても、自分の根本的な部分、”歌詞を大事にする”っていうのは変えない。そのスタンスが、たまたまかもしれないですけど、今回の動きにつながったポイントの一つなのかなと思います。いつの時代も音楽が人に響く部分は変わらないですよね。歌ってるのも人だし、聴いているのも人だから。なので、そこを大事にしてきて良かったなと感じています。
——ではいわゆる「こうやったらバズるだろう」みたいな意図的な部分も特になく?
そういう意図は特になかったんですけど、強いて言うならば「君が隣にいることいつか当たり前になってさ」のMVは自分のスマホで撮っていて、割と親近感がある作りになっているんです。そういう身近な部分が、みんながこの曲を使って動画を作ってくれる要因の一つにはなったのかなと。MVに似た感じの動画で、カップルの彼氏、彼女がお互いのために「君が隣にいることいつか当たり前になってさ」を使った投稿を多くしてくれているんですよね。
——たしかに「君が隣にいることいつか当たり前になってさ」を使った「#カップル動画」が多くアップされています。
狙ってやったわけじゃなけいんですけど、後から考えたらそうかなと。「君が隣にいることいつか当たり前になってさ」には自分のスマホで録った映像がマッチするだろうなって考えて作っただけなんで。
——そういうアドバイスをされるスタッフさんのような方は?
今は事務所やレーベルのサポートっていうのは一切ないです。もちろんひとりでは音楽は出来ないので色んな方に助けてもらってはいますが、活動の根本の部分においては完全に個人でひとりでやっています。
シンガーソングライター 落合渉のルーツ
——改めて落合さんのバックグラウンドを伺いたいのですが、ご出身は大阪ですか?
生まれは広島で、親が転勤族だったのでその後何回か引っ越しをして、小学校の時に大阪に住み始めて、それからずっと大阪でした。
——一番最初に音楽に興味をもったのは?
実は子供のころは全然音楽に興味がなくて、ずっとサッカーばっかりやってたんです。音楽に関して鮮明に覚えているのは、中学生の頃にサッカーで大きな怪我をしてしまって療養してるときに、今井美樹さんの「PIECE OF MY WISH」を聴いて号泣したことかな。
あと父が長渕剛さんが大好きで、僕が母親のお腹の中にいるときから聴かされていて。いつも週末になると父がギター弾いて歌ってたんで、人生で一番聴いてる音楽は長渕さんだと思いますし、意識していない部分でやっぱり影響は受けていると思います。
——最近だとどういった音楽を聴いていますか?
詳しいわけではないですが、ヒップホップも聴きますし、昔のフォークも好きです。あと、メジャーやインディー、知名度があるないに関わらず日本のバンドを聴くのは大好きです。
——そういったバンドに惹かれるのはどうしてですか?
バンドの人たちの言葉って、僕の印象では、なにひとつ飾っていなくて、素っ裸でどんっと投げてくれる感じがして、胸に響くんです。そういったバンドの相手への言葉の投げ方と、自分が求めてる、やりたい音楽でリンクする部分があると感じるので。あとメジャーにあがる前のほうが、売れる売れない関係なく自分たちの伝えたいことをそのまま伝えている気がする部分も含めてインディーのバンドも好きなのかもしれません。
——落合さんが本格的に音楽活動をするようになったきっかけというのは?
兄が音楽を志していて、彼があるオーディションを受けた時、興味本位で僕もついていって一緒に受けたら、案の定僕は落ちて、兄は一次審査を通過したんです。それがすごく悔しくて、それから自分でも音楽をやるようになりました。その後、大学に入ってからはさらに本格的に活動するようになりました。
——落合さんの音楽のスタイルは最初からシンガーソングライターだったんですか?
はじめのころは自分で曲を書いてなくて、他の方が作った曲のオケ音源で歌っていて。はじめてのライブがZepp Nambaで開催された「天下一音楽会関西大会」っていうコンテンストだったんですけど、それで優勝をしまして。それをきっかけに東京のプロデューサーさんとCDをリリースする流れになり、そういう活動を2年ぐらいした後に自分でも曲を書いてみたくなって、そのリリースをしてくれたところも離れ、自分で曲を書き始めました。なので、自分で曲を書き始めたのはここ3、4年ぐらいですね。作り始めた当初はギターもやっていなくて、スマホのボイスメモに鼻歌を吹き込んで作っていました。ギターをはじめたのは上京してからですね。
ライブの活動としては路上でずっとやっていて、大阪駅のあたりで週に5日は歌ってました。そこではシーンも形成されてて、素敵なアーティストさんが沢山います。
大阪で路上をしている時は、いい意味でも悪い意味でもそこが自分の世界になるような感じがあったかもしれないです。そういう活動を4年間ぐらいしていました。さっき言った「浴衣と花火」のMVもその大阪時代に作ってYouTubeにアップしていたんですけど、その当時は特に再生数が伸びることもなくっていう状況でした。
——上京はいつされたんですか?
2018年5月なので1年半ぐらい前ですね。
——ギターは東京に来てから始められたと先ほどおっしゃっていましたね。
実家を出る時に、父が自分のギターを1本「持っていけって」渡してくれたんです。その時、「あ、俺はきっとギターをやることになるんだな」って直感しました。
——路上ライブを中心にしていた大阪から東京に移って、活動の変化はありましたか?
上京した直後は以前と変わらず路上ライブをやっていたんですけど、環境の変化のストレスなのか、一回大きな病気にかかってしまって。無事に治ったんですけど、また同じことやってもそのうちにまた潰れてしまうなと思って、今はいったん路上ライブは休止しています。大阪時代から毎年アルバムを作って、それを持ってライブを1年通して行うというスタイルでやっていたんですけど、今もそのスタイルは変えず、もっと制作に集中して、ひとつひとつのライブにもっとフォーカスして力を注ぐようにしています。
何よりも歌詞を大切にする楽曲制作
——楽曲はどのように作られていますか?
僕の場合、絶対に歌詞から先に作ります。それも作ろうと思って作詞するのではなく、日々の生活の中で思いついた時にどんどん書いています。詞を書いている時にメロディーが頭の中に流れれば、それに詞をあわせて曲にしますし、メロディーがおりてこなかったらその詞はひとまず寝かせておきます。1日に1、2曲は毎日必ず書いてると思います。
——驚異的なペースですね。ギターを弾きながら作ったりもしますか?
それを試みた時もあったんですけど、ギターで作ると自分の手グセや決まったコード進行になりがちだと最近分かったんで、今は改めて歌詞におりてきたメロディーをつけて、それにあうコードを探すという順番で作っています。また、明るい曲にしようとか悲しい曲にしようとか、前もってそういう音の方向性を決めることもないです。言葉が出てきてそこに自然にメロディーがおりてくるまで、どういう曲ができるのか自分でも分からないっていう感覚です。
——歌詞はどういったところからインスピレーションを受けますか?
想像で書くことはほぼなくて、過去、現在、未来の自分の感情や心情をベースに、そのままリアルに表現しています。
——レコーディングはどのようにされていますか?
昔からお世話になっていてライブのサポートもしていただいているギタリスト兼アレンジャーの方と一緒にアレンジをして、スタジオを借りてレコーディングしています。ただ、曲によって録り方を変えていて、例えば「一人暮らし」っていう曲があるんですけど、これは完全に自分の一人暮らしのストーリーの歌なので、ギターもボーカルRECも全て自分の部屋で完結させました。部屋の空間の響きも含めて曲に落としこんで。そういう部分にこだわってもいます。
——活動のスタンスの部分で意識していることはありますか?
インディーやメジャーといった部分は特にそこまで意識していないです。結局、メジャーの良さを語る人はメジャーで成功している方だし、インディーにしてもそのカタチがハマった人の言葉なので、そこは結果論だなと感じるんです。ただ少なからず、まずはそういう選択ができる場所に立ちたいっていうのはありますね。どちらの方向になったにせよ、満足のいく活動ができるように、まずは”落合渉”っていうものを確立したい。そして、いずれにせよひとりでも多くの人に自分の曲が届いてほしいです。
「スーパースターじゃなく、”スーパー普通の人”」
——ご自身の音楽活動で一番伝えたいことはどんなことですか?
もともと僕自身「普通の人」って言われることが多くて。音楽をはじめたころから、「君は普通の人だから、そういう世界に行っても無理だよ」ってずっと言われてて。でも僕としては「普通の人でどこが悪いの?」っていう感覚があるんです。音楽を聴く人は一般の方がほとんどだと思いますし、普通の人じゃないと普通の人の気持ちは分からないですよね。だから僕はスーパースターになるより、”スーパー普通の人”になりたいなと。その思いは音楽を始めたころから今にいたるまでずっと変わりません。日常で当たり前になっていく物事、感情、目に見えるもの全てがいかに大事かということを、死や災害の時にだけ意識するんじゃなくて、自分の音楽を聴いた時に、「当たり前のことが実はひとつひとつが大事で、当たり前じゃないよね」っていうことを色んな角度から伝えていきたいです。時々、自分の曲を全て聴き返したりするんですけど、今も昔も歌っている内容の軸は変わっていなくて、そういうことを一貫して歌っているんだなと自分でも改めて感じます。
——そういった表現を発信したいといったモチベーションはどういったことですか?
単純に音楽が好きなんだと思いますし、活動していて「自分って自分の歌しか歌えないんだな」と感じることがあって。どういうジャンルにせよ、その曲はその人にしか作れなくて歌えないんだなって。僕は僕の曲しか歌えないんだと実感した時、自分のリアルしか歌えなくなったんです。全ての境遇が完全に同じという人はいないかもしれないですけど、どんな人でもどこかで何かは重なる部分はあると思うんで、「感動してください」、「楽しんでください」っていう押し付ける提供の仕方ではなく、自分のことを歌ったときに、それを聴いた人がちょっとでも自分の人生にあてはまるなと感じてくれたら、それが一番の”共感”だと思います。そして、それを感じられることが音楽を続けるエネルギーになっています。「伝わっているんだ」というところ。僕の歌なんだけど、僕のものじゃなくなるというか、僕の曲が聴いた人のものになる瞬間が本当に好きなんだと思います。
——落合さんにとって音楽はライフワークという認識でしょうか?大学に行かれて、就職という事を考えた時にやはり悩んだりはしましたか?
就職活動はしなかったですし、自分がやる音楽が仕事として周りに認めてもらえなかったのがもどかしくて、大学を卒業したタイミングでもう音楽以外はやらないと決めたんです。なので、人生でバイトをしたのも大学の4年間働かせてもらった焼き鳥屋のバイトだけ。それ以外のバイトはしたことがなくて、音楽で稼いで生きていくという一度決めたことを徹底して今もやり続けています。
「浮足立たず、地に足を着けて音楽を続ける」
–今後の短中期的な目標と、長期的な目標というものがもしあれば教えていただきたいです。
近めのものでいうと、今年の夏からはじめて全国ツアーを行うので、それをしっかり完走して成功に収めること。遠いところだと、大きい会場でやりたいとか、紅白に出たいとかは、興味はもちろんありますけど、それらはゴールとしてあるものではなく、50、60歳になってもちゃんと自分の言葉で歌い続けられるシンガーソングライターでいたいっていうことです。そこまで歌い続けていられるというのは、それだけ聴いていただける人がいるからだと思うので。やっぱり、自己満足な活動になってしまっては元も子もないと思いますし、聴いてくれる人がいてはじめて成立すると考えているので。
——先ほど体調を壊されたとおっしゃっていましたが、やっぱり落ちるときもあると思うのですが、心が折れないように、メンタルのキープはどのようにされていますか?
地元の友達とカラオケに行くのが一番の薬ですね(笑)。そういう、友達とアホやって騒げるっていうのが一番初心に戻れるので。気持ちが沈んだら大阪に帰って、親友とカラオケに行くと、元気になれます。友達大好きなので。(笑)
——これからの動きには、ますます注目が集まりそうですね。
「君が隣にいることいつか当たり前になってさ」の流れで、これまででは考えられなかったことが立て続けに起きていて嬉しい一方ですごく恐怖も感じています。「あ、こういう感じで人って変わっていくんだな」っていうのを今とても体感しているというか。初心を忘れてしまったらもう先はないと、毎日自分に言い聞かせています。これまでと変わらずに、ブレずに音楽を届けられるかどうかが勝負だと思っているので、これからも浮足立たずに、地に足を着けて音楽を続けていきます。