「Swag」で海外も注目 ラッパー Miyauchi インタビュー 「嘘でしょ?みたいなことをやりたい」

2024.6.21

Miyauchi

去年末に出したアルバムに収録されていた「Swag」という曲のダンス動画が、突如、中国でバズを起こし、今年春頃にベトナムや韓国といったアジア諸国に拡散。そのバイラルヒットを受けて今年4月には日本のストリーミングチャートでTop10入りするなど、逆輸入のような構図で大きな注目を浴びているラッパーのMiyauchi。「Swag」はユーフォニックなトラップビートに乗せて平易な言葉がリズミカルに並ぶ楽曲で、確かに口ずさみたくなる独特の中毒性を持っている。それと同時にMiyauchiのラップ巧者ぶりも伝える1曲だ。さらに5月にはIXLプロデュースの「Swag (Remix)」もリリースされ、同じく好調ぶりをみせている。まったく無名の存在だった彼は、どんな素性の持ち主で、どのようにして「Swag」を作りあげたのか。ラップとの出会いや、これまでに発表している2枚のアルバムのこと、「Swag」のヒットで変化した心境や今後に向けた展望など、幅広く語ってもらった。

 
取材・文 : 猪又 孝
 
 

ヒップホップと友達に救われた

——1999年、神奈川県川崎市生まれだそうですが、川崎のどのあたりですか?

Miyauchi:南側ですね。BAD HOPの方たちと同じ南部で育ちました。

——実家は花屋だそうですね。

Miyauchi:一軒家を改装して店舗にした、街の普通の花屋です。どこかに出かけて花屋の前を通ると、“うわ、家の匂いだ”と思いますね。

——花束を作れたりするんですか?

Miyauchi:僕は全然作れないです(笑)。けど、花束を紙にくるむのはめちゃくちゃ早いです。手伝っていたので。

——ラップやヒップホップにめざめたきっかけは?

Miyauchi:BAD HOPさんやKOHHさんとかが日本でトラップをやり始めたときですね。ブーンバップのリズム感やラップが自分の好みに合わなくて、ちょっとこれは違うなと思っていたんですけど、T-Pablowさんの「Love or Die」(2014年)を聴いたときに、乗り方がだいぶ新しくて、これだ!と思って。

——それがいくつのとき?

Miyauchi:中3とか高1かな。ちなみにT-Pablowさんとは同じ中学なんです。

——ということはYZERR、G-k.i.dの後輩にもなる。

Miyauchi:あと、Tiji Jojoさんも先輩ですね。地元の先輩が出てるということで、「高校生RAP選手権」を第1回からリアルタイムでテレビで観てたんです。だから最初はバトルから入ったんです。

——ヒップホップにブーンバップのイメージがあったということは、それ以前にどこかで耳にしていたということですよね。

Miyauchi:たぶん友達が流していたんだと思います。一緒に自転車で遊びに行くときに友達がガラケーで音楽を馬鹿デカい音で鳴らしてて。アーティスト名は覚えてないけど、そういうときにあんまり好きじゃないなぁ、みたいに思ってて。

——T-Pablowの「Love or Die」を聴いたときにトラップという音楽は知っていたんですか?

Miyauchi:全然わかってないです。なんとなくこういう感じが好きだなって。そうこうしていたらBAD HOPさんが1stアルバム『BAD HOP』(2015年)を出して。その頃にYEN TOWNさんとかkiLLaさんとかが流行りはじめて、そのあたりから俺が好きな音楽ってこれなんだなと思ってディグるようになりました。すでにKOHHさんは有名でしたし、友達に勧められてANARCHYさんを聴いて涙した日もありました。

——KOHHはどのアルバムから入ったんですか?

Miyauchi:『MONOCHROME』(2014年)は出た直後くらいで聴いていた気がします。「No sleep」を高校受験のための塾に行く途中で聴いていた記憶があるから。

——そんな流れから自分でもラップを始めてみようと?

Miyauchi:ラップは中学校の頃から休み時間にやってたんです。でも、そのときは本当に遊びで、休み時間にサッカーをやるのと同じ感覚でした。本気で始めようと思ったのは19歳とか20歳くらいの頃。友達からずっと誘われていたんですけど、いよいよ動かなきゃ始まんなくね?みたいな話になって、給料入ったらすぐ行こうってマイクを買いに行ったんです。それが始まり。

——その友達というのは?

Miyauchi:『”The Mixtape”』に客演で参加しているSunnyです。中学校時代に仲の良い友達がいて、そいつと俺は別の高校に進学したんですけど、そいつが高校で仲良くなったのがSunny。

——高校を卒業後、Sunnyにケツを叩かれてマイクを握ったと。

Miyauchi:そうです。ただ、卒業後に行った専門学校をいろいろあって中退しちゃって、ほぼ鬱病みたいになってしまったんです。自分の中でどんどん闇を広げてしまって、ダメだ、ダメだ、どうしよう。親に金を出してもらったのに中退しちゃったという罪悪感もあって自己嫌悪に陥って。そのときにヒップホップと友達に救われたんです。

——どのように救われたんですか?

Miyauchi:ヒップホップからは逆境やマイナスなことも前向きに変換していけるっていうこと。KOHHさんの「Hatin’ On Me」の歌いだしの“完璧じゃなくていいのに”という言葉とか、そういうところに救われました。基本的に自分は他人を信頼するのに時間がかかるタイプで、友達とかに対しても、どうせ裏切られると思って接してしまうんです。Sunnyについても最初は「いつかいなくなる。俺から離れていく」と思っていたんです。で、ある日、酔っ払ったタイミングで、それをぶちまけたら、Sunnyが淡々と「お前はここからは逃げられないから」って。「絶対に逃げられないし、俺らが逃がさないから、そういう気持ち悪い勘違い、やめたほうがいいよ」って言われて「俺ってひとりじゃないんだ」って救われたんです。

——良い友達に恵まれましたね。

Miyauchi:本当にそうです。それだけは胸張って言えますね。

——マイクを買って、最初はどんなことから始めたんですか?

Miyauchi:とりあえずフリーなビートを引っ張ってきて、そこにフリースタイルで乗せたり、ちょっと考えて乗せたり、いろいろなやり方を手探りでやってました。

——昼の仕事を終えて帰ってくると夜はラップの練習みたいな?

Miyauchi:そうです。けど、まだ、今ほど本気じゃなかったから、次第にラップから離れていって。その頃、出前のバイトをやってたんですけど、新型コロナウイルスが流行り始めたんですね。それで仕事もできない、ラップも中途半端、貯金もとんでもない速度で使い果たすし、生活が全然上手くいかない状態で。それで専門学校時代の自分が蘇ってきて、「結局、俺って……」という落ち込み方をしちゃってたんです。そんなある日、ちょっと気持ちが晴れたから歌ってみようと思って「港区キャット」というめちゃくちゃふざけた曲を録ったんです。それがめちゃくちゃ良くて「あれ、イケるかも!?」って気持ちが持ち直して。

——それがいくつの頃?

Miyauchi:最近ですよ。22歳とか23歳。ここからMiyauchiがようやく始動するんです(笑)。

——ちなみにキャットは猫のこと?

Miyauchi:そう。実家で4匹飼ってるんですよ。その歌です(笑)。

 

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この記事の執筆者

猪又 孝

音楽ライターとして国産のR&B/HIP-HOP/歌モノを中心に執筆。これまでに取材したアーティストは1000組以上。日本の著名ラッパーの作詞術をインタビューで紐解いた単行本「ラップのことば」「同2」を企画・編集・執筆。放送作家としてラジオや配信番組の構成を手掛ける他、安室奈美恵、三浦大知、東方神起、ナオト・インティライミ、EXILE SHOKICHI、Official髭男dismなどのオフィシャルプロダクツにも関わる。インタビュー原稿ガンガン受け付けます。お気軽にどうぞ。

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