Salvador Maniインタビュー 新EP『東京基準』リリース、世代を問わずに届く “聴きやすさ” を追い求めて

2020.6.25


【Interview】salvador mani |「先ずは東京の基準となれるように」東京新世代の麒麟児

10代半ばでバトルシーンにおいて注目を集めたSalvador Mani。QN、RAU DEFにフックアップされオリジナル楽曲のクオリティにも磨きをかけてきた。そして一時期鳴りを潜めていた活動が再びアクティブになり、盟友(sic)boyをはじめ、Yung sticky wom、YUNG HIROPON、Sunday too slowlyといった同世代ラッパーを客演に迎えたEP『東京基準』を先日リリース。新しい価値観を持つ仲間たちと作り上げた”基準”とは。

ルーツはMUTANTAINERS

——Salvador Maniさんはバトルのシーンから出てきたとして知られている部分もありますが、まず子供のころの音楽原体験はどういったものでしたか?

自分は大田区の出身で、生まれはお台場なんですけど、父親の仕事場の関係で小学生の7、8割が中学受験をするような土地で育ちました。そこは蒲田方面のちょっとドープな感じも無くて、例えば自分が中学生の時にcap被ってスケボーやPENNYとかしてても一緒にやる友達はいないような感じというか。音楽に興味を持ったきっかけはTSUTAYAのJ-hiphopコーナー。誰もが知っているメジャーから地方のアンダーまで聴きまくってました。お金が無くてHMVとかであんまりCDを買えなかったんで中学3年間TSUTAYAに通って。親からの影響もあります。今、父親とも母親とも仲良いんですけど父親は元々バンドをやっていたロックの人で、母親が裏原出身で、どちらかというと母親の影響が強いかな。今でも母親はApple Musicで新譜とか聴いている人で、実家に帰ったら音楽の話をよくしますし、読んだ方がいい本とかもオススメしてくれます。自分の曲に対してもあーだこーだ言われますけど、それがけっこう的確なんですよね。

——具体的にはどういったアーティストに影響を受けましたか?

自分は2011年から2013年が中学生時代なんですけど、その時はすでに日本語でかっこいいラップをしている人たちが沢山いたので、とても楽しかったです。『CONCRETE GREEN』も聴いてましたし、自分のルーツとなるMUTANTAINERS (*QN、RAU DEFらによるユニット) も聴いてました。中高の最寄りに今は無くなってしまったんですけど、LOCOSOULというレコード屋さんがあって、そこに制服で入るのが恥ずかしくて一旦家に帰って服を着替えて通ったりして。そこで初めてNASやSnoop Doggの1stアルバムを買って聴いたり。でもはじめはどうライムしてるのかさっぱりわからなくて、普通に最初は「これ聴いてる俺かっこよくね?」みたいな感じで聴いてました(笑)。でもSnoop Doggは当時、海外の90sのラップのフロウやライムを理解できなかった自分の耳にもすんなり入ってきた記憶があります。

——MUTANTAINERSがルーツということですが、QNさんやRAU DEFさんとはどういうつながりなんでしょうか?

ある時、上野でのイベントに遊び行ったらQNさんとRAUDEFさんがリリースライブをしていて。それで話しかけたら、自分が出た高校生ラップ選手権を見てくれていたんです。その時はまだ何も分からない状態だったしラップのことをもっと知りたかったんで、遊んでもらっている時にラップを教えてくださいとお願いしました。16歳になったばかりくらいの頃です。それを快諾してくれて、トラックを用意してもらったり、レコーディングをさせてもらったり、さらには自分のやりやすい好きなラインのUSのラップや、ファッションについても教えてくれました。あそこのスタジオにいなかったらここまで音楽や服を好きになっていることもなかったので本当に自分のルーツですね。

 
——最近ではどういったラッパーを聴いていますか?

今個人的に好きなUSのラッパーはLil MoseyやSOB x RBE、Iamsu!とかです。あとパクられちゃってるんですけどLul Gとか、ラップかっこいいけどメロディアスなフロウをするラッパーが好きです。今一番好きなアーティストは自分と同い年の21歳でDestiny Rogersっていうシンガー。みんなにも聴いてほしい。「Euphoria」っていう曲がオススメです。

 

バトルに出るのは自然なことだった

——Salvador Maniさんはどのような経緯でラップをするようになったんですか?

やっぱりずっとラップを聴いてると自然とやりたくなってきて、中三の時にPCにつなぐマイクを買ったんですけど機械音痴なのでうんともすんとも言わなくて。で、「どうすればいいんだ?」って時にUMBと高校生ラップ選手権をYouTubeで観て、「フリースタイルならスマホからインスト流すだけで出来るかも」って思って一人でフリースタイルを始めました。学校にスピーカーを持っていってフリースタイルをしていたんですけど、みんな今と違って理解がなくて。だから自称キッズの先駆けです(笑)。それで川崎のオブジェでサイファーを始めた時に出会ったのがLeon Fanourakisなんです。彼は既にスタジオがあって「レコーディングが出来るよ!」と言ってくれて、会って2、3回目くらいでLeonの家に行って人生で初めて曲を作りました。当時なんとなく聴いていたThe Beatnutsの「We Got the Funk」のインストでだったかな。Leonについては彼のラップやアティテュードは昔から尊敬していますし、何よりあの時にレコーディングさせてくれたことがラップをやるきっかけなので感謝しています。

 
——Salvador Maniさんの交友関係で言えば、(sic)boyさんがSalvador Maniさんからヒップホップを教わったとFNMNLのインタビューで言っていましたね。

(sic)boyとは小六の時の塾が同じで、中高が同じ学校です。中一以降はクラスが一緒になることはなかったんですけど、彼は高校の時からバンド活動を積極的にしていたし、あと絵やマンガが昔から上手くて。彼は尖っている部分もあるけど、それを余裕で凌駕してくるスキルや感性を兼ね備えていて、自分も的確なアドバイスをよくもらいますね。

——バトルに出たのはどういうきっかけだったんですか?

あの時は今のバトルブームの最初らへんだったので、15、6歳の自分がバトルに出るのは自然なことだったし、それは自分だけじゃなく、ラップをしている同世代や少し上の世代の人達においてもバトルに出るのは当然の流れだったと思います。高校生ラップ選手権、フリースタイルダンジョンは人生において非常に大きかったです。良い結果は残せなかったし、良いことだけではもちろん無かったけど、音楽をもっと好きになるきっかけにもなったし、そういった部分でいうと非常にプラスになりました。

 

同世代のラッパー、アーティストと作り上げた『東京基準』

——新EP『東京基準』の全体のテーマというのは?

東京の基準に……なりますみたいな。ラップをやりたいなと思ってから今日まで、そしてこれからも課題としていることが「聴きやすさ」なんです。だから将来的にも、サウンドも歌詞もカッコイイけど老若男女聴けるような曲を作っていきたくて。

——以前のシングルのリリースから少し間が空きましたが。

やっぱり、とりあえず出来た曲を世に出しておきたくて。今まで自分の中で納得いかずにボツにしてきた曲がけっこうあるんですけど、これからは時代もあるしサクっといきたいなと。
 

——『東京基準』はどういった制作プロセスでしたか?

普段はとりあえずビートをディグって良かったビートのトラックメイカーとコンタクトをとって、配信可能かを確認して。大体OKなのでそこから歌詞を書いてレコーディングをしていくことが多いですね。実際コンタクトをとってみると、世界的に有名なラッパーに提供しているトラックメーカーも普通に曲とか聴いてくれるんですよね。それで『東京基準』に関してもビートは完全に好みで選びました。「TYO GAL」のDouble Leeは台湾のトラックメーカーで、YouTubeで知りました。いつものように直接コンタクトをとってトラックWAVデータをもらう流れで。

 
「Death Savage」のYUNG HIROPONは最初に彼からビートが送られてきて「これで一緒に作らない?」ってアプローチがあって、それで一緒に制作しました。BPMを変えたりフロウも一緒に作って。YUNGHIROPONは歌詞がすごくいいし、オリジナルですね。

 
——他にも同世代のラッパーの方々が客演参加していますね。

Yung sticky womも中高の友達で、彼の地元の後輩がOnly Uなんです。彼らとは「JUMP!」という曲もリリースしているので聴いてみてください。

 
——みなさんライブでもよく共演されていますよね。

ですね。ライブでは特に恵比寿BATICAの鈴木健さんには普段からライブをやらせていただいたりお世話になっています。

——ヒップホップシーンも多様化しています。

もちろん自分も幅を広げいきたいけど、まずは基本のボーカルがかっこよくないと成り立たないと思うんで、そこは半永久的に成長していきたいです。


Salvador Mani、「東京基準」

EP『東京基準』 各配信ストア : https://linkco.re/MZF5Ds4E
 

 

“普通の人”にも届く基準=スタンダードを

——今Salvador Maniさんはどういった思いをもって音楽やラップをされていますか?

一時期、音楽を通した人間関係やプライベートの面においても自分の中で迷いがあって、「もう別にラップとかやんなくていいかな」ってしばらく音楽や友達と離れていた時があったんです。だけど、結局なんだかんだ音楽を聴いてたし、色んなラッパーの歌詞が刺さったんですね。QNさんはもちろん、シーンで活躍されている色んな日本のラッパーの歌詞が。自分もプレイヤーの一人としてやってきた分、余計にそういった方々の歌詞が心に響きました。それで、かなり落ちてたんですけど結局ラップをやってみたいなと思ったし、実際曲をもう一回作ってみたら今生きてる中で一番好きなのがレコーディングだとも思えるほどになったし。だから今となっては自信があるんで、気の済むまでやっていきたいと思っています。

——最後に今後の活動の展望を教えてください。

先ずは東京の基準となれるように。その意味は何個かあるんですけど、その一つとして、例えば自分みたいな地元も普通で東京・神奈川ら辺の私立中学のおぼっちゃんにも「この曲カッコいいな、俺にも出来そうでいいな」って思ってもらえるような曲を作りたいんです。現に今もそういう曲を作っている人が日本にも海外にもいますし、当時の自分もカッコいいなと思ったので。あとは、今年中に、出来ればわりかしすぐにもう一つ作品を出してまた新しい形を提示したくて、今リリックを書いている最中です。他にも、色んな人達とセッションしてみたいですし、大人の人にもみてもらいたいですね。もっと色んな人とリンクしたい。遠めの将来のことに関してとなると難しいですけど、とにかくやり続けることだと思っています。やり続けていればもっとかっこよくなるし、言いたいことに対しての共感が広がっていくと思うので。でもまぁ本心は近い未来にラップで稼いだお金でヤバイ車欲しいっすね。
 

 
Salvador Mani
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