【コラム】理想のアーティスト活動を実現するための新たな選択肢
インディペンデントで成功を収めたラッパー
2019年の米経済誌『フォーブス』で、世界に多大な影響を与え次代を牽引する30歳未満の若者30人を選出した“30 Under 30” の音楽部門に選ばれたラッパーの1人がRussだ。
彼はアトランタを拠点に活動し、インディペンデントのDIYアーティストから世界で最も稼ぐラッパーの1人へと登りつめた。今までに発表した作品は、ほぼ自主制作で、音楽制作においてはプロデュース、レコーディング、ミックス、マスタリングまで自分でこなす。SoundCloudに毎週1曲ずつ自分の楽曲をアップロードするという地道な活動を3年ほど続けた。曲を発表するたびに、全ソーシャルメディアを駆使したプロモーション活動を行い、2014年までに11枚のミックスステープと87曲のシングルを発表した。
徐々に知名度を上げながら、巨大なファンベースを築きあげ、2015年に発表した「What They Want」、「Losin Control」、「Best on Earth」で人気に火がついた。2014年から2019年までに発表した楽曲の中で、RIAAプラチナ認定された楽曲は6曲、ゴールド認定された楽曲は8曲にものぼる。
2020年5月にRussはTuneCoreにおける自身の楽曲の収益の一部を公開した。
「Ain’t Nobody Takin My Baby」と「Psycho Pt. 2」は、ともに2016年に発表された楽曲で、2020年の5月の時点で1曲あたり日本円にすると約1億円を超える収益を稼いでいる。
上記のInstagramの投稿では、自分で原盤権を保有することの重要性を語っているが、Russがここまで成功した理由は他にもある。
Russのファン分析で分かるマーケティング
2017年に米大手のヒップホップ・ウェブ・メディア、DJ BoothがRussと21Savageというアトランタを拠点に活動する2人のラッパーのリスナー層を分析した興味深い記事を発表している。記事には、DJBooth、Russ、21 SavageのTwitterフォロアーのユーザー属性の一部が公開されている。
▼DJ Booth
性別:68.2%が男性
年齢:82.9%が21〜29歳
民族:76.1%が黒人
地域:アメリカのニューヨーク州、ジョージア州、イリノイ州、ペンシルベニア州の主要都市に集中。
▼Russ
性別:65.9% が女性
年齢:86.8%が20歳もしくはそれ以下
民族:50.9%が白人、25.9%がヒスパニック、22.5%が黒人
地域:アメリカのオハイオ州、ワシントン州、アリゾナ州、オレゴン州、ネバダ州に集中。
▼21Savage
性別:男性が59%
年齢:68.5%が21〜29歳
民族:88.2%が黒人
地域:ジョージア州、テキサス州、ノース・キャロライナ州、イリノイ州の主要都市に集中。
記事参照元 : https://djbooth.net/features/2017-10-27-russ-relevance-twitter-data
この記事から、Russは米ヒップホップ音楽業界が主なターゲットとしている性別、年齢、人種、地域のリスナー層とは異なるファン層を獲得していることがよく分かる。
米ヒップホップ音楽業界は、アーティストがリスナーを取り合うような市場の飽和状況がずっと続いている。その中で成功を勝ち取るには業界とのコネクション、大御所アーティストからのお墨付きなどが有効になってくる。音楽関係者やメディアとのコネクションがなかったRussは自分のブランドを理解し、ラッパーの商売激戦地とは別のターゲットを開拓し、巨大なファンベースを築き上げることに成功した。
Russは今でこそさまざまな音楽メディアに露出しているが、以前はヒップホップの音楽メディアへの露出も少なく、ラジオで彼の楽曲を耳にすることも無かった。10代の女性Russファンと主なラップ・リスナーがソーシャルメディアでRussの音楽について語り合うこともない。米ヒップホップ音楽業界において、Russは特異な位置に身を置き、独自のファンベースを持っていることがよく分かる。
中東サウジアラビアでの人気に注目!
Russは世界各地にファンベースを持ち、ワールドツアーではスタジアム級のコンサートを即ソールドアウトするまでになった。その中でも注目したいのが、中東・サウジアラビアである。
イスラム教国の中でも、非常に戒律が厳しい保守的な国と知られているサウジアラビアは、2017年に自国の経済改革計画「ビジョン2030」を策定した。それから、経済政策の一環としてアメリカのミュージシャンがサウジアラビアに呼ばれ、コンサートを開催するようになった。第1弾アーティストとして呼ばれたのが、カントリー歌手のToby Keithだった。酒、ドラッグ、セックスに関する曲は演奏しないというルールの元行われたコンサートが、サウジアラビアで1990年以来初となるアメリカ・ミュージシャンのコンサートとなった。第2弾アーティストとして呼ばれたラッパーNellyのコンサートは、異例の男性客限定で開催された。その後もBackstreet Boys、Janet Jackson、Mariah Carey、The Black Eyed Peasなど多くのメジャー・アーティストがサウジアラビアでコンサートを行っている。
Russはインディペンデントでありながら、サウジアラビアで2度のコンサートを実現している。2019年には「ビジョン2030」の一環として、サウジアラビアのリヤドでMigosとジョイントコンサートを行った。米ヒップホップ音楽業界では、RussよりもMigosの知名度と人気の方が圧倒的に高い印象がある。しかし、サウジアラビアのコンサートでトリを務めたのはRussだった。
Russは2015年に「Straight From Saudi」という楽曲をSoundCloudで発表している。このサウジアラビア人女性をたたえたラブ・ソングが現地で大ヒットし、サウジアラビアでの人気を獲得した。
本楽曲のYouTubeコメント欄を見ても、アラビア語でたくさんのコメントが寄せられている。RussがTwitterで「インシャーラー」とアラビア語で呟いた時には、サウジアラビアのファンが大熱狂した。このような地理的距離を越えたマーケティングで世界各地にファンベースを構築し、サウジアラビアではMigosよりも高い人気度を誇るまでになっている。
Inshallah
— RUSS (@russdiemon) January 25, 2018
インディペンデントでレコード会社と「パートナー契約」
そんなRussもデビュー・アルバム『There is Really a Wolf』をリリースするタイミングでコロンビア・レコードとパートナー契約を結んでいる。
巨大なファンベースを持ち、メジャー・レコード会社(以下、レコード会社)と契約しなくても相当な収益を稼いでいたはずだ。しかし、Russはより幅広い層に自分の音楽を届けることを目的にレコード会社と契約を結んだ。アルバムに収録している20曲中10曲の楽曲の売り上げを分け合い、レコード会社はアルバム宣伝プロモーションを手伝い、300曲近くあるRussの楽曲カタログには干渉しないという内容だ*。アメリカのヒップホップ・アーティストをみると、レコード会社との契約といっても、アーティストにより実に多様な契約形態が存在している。
*参照元:
Russ以外にもTuneCoreを利用しているアーティストはたくさんいる。2019年の3月に亡くなったNipsey Hussleもその1人だ。
彼は2005年からインディペンデントで活動しているベテラン・ラッパーだ。彼はアトランティック・レコードとチームを組んで自身のレーベル “All Money In” を設立し遺作となった『Victory Lap』を発表した。原盤権を自身でも保有していたため、彼の音楽を音楽ストリーミングサービスで再生すれば、そのまま遺族に収益が入るようになっていた。そのため、彼が亡くなった直後には、ソーシャルメディアでNipsey Hussleの楽曲を再生しようと呼びかける動きがあった。
Royalties, publishing, plus I own masters
印税も版権も原盤も俺が持っている
― Nipsey Hussle「Dedication」より
I’m the type of nigga own the masters to my tape.
テープの原盤を持ってるタイプの男だ
― Nipsey Hussle「Young Nigga」より
*Nipsey HussleはMass Appealのインタビューでも原盤を所有することの重要性を語っている。
理想とするアーティスト活動を実現するビジネス手法を模索する時代
以前は、メジャー・デビューを目標に掲げ、自主制作で音楽活動を行うことが一般的であった。ストリーミング時代に突入し、それとともに作品をリリースするにあたってのディストリビューションの自由度も高まり、インディペンデントのまま活動を続け、音楽チャートに楽曲がランクインしなくても楽曲がプラチナム認定されるなど、レコード契約無しでもアーティストとして成功できることが証明された。
また、RussやNipsey Hussleのように、自分の理想とする契約条件が合致すればインディペンデントでの活動を軸に置きつつも、レコード会社とパートナーシップという形で契約を結び、レコード会社の力でしかリーチすることができない幅広いターゲット層に自分の音楽を届け、より効果的なビジネスを実現することもできる。アーティストとして活動するビジネス・スタイルの選択肢が増えたと言えるだろう。
アーティストが自分自身の理想とする活動スタイルを模索し、それを実現するにはどういった手段を選べばいいのかを選択することが可能になった。ストリーミング時代に突入してもレコード会社やレーベルと契約し、自分の理想とする音楽活動を実現しているアーティストはたくさんいる。しかし、Russのように自分で何でもできる器用なアーティストはインディペンデントでの活動が向いている。インディペンデントで成功するには、多大な努力と音楽制作以外のことを全部自分でこなす知識と労力が必要である。また、レコード会社やレーベルと契約すれば、音楽制作からマーケティング、宣伝などプロに任せることができる。インディペンデントでしかできないこと、レコード会社にしかできないことがあるのだ。
コロナ渦では、レコーディング・スタジオが閉鎖され、メジャー・アーティストの多くが制作作業をストップしなければならない状況に陥った。楽曲のリリースに関しても、街頭の広告、ラジオ出演、イベントなど莫大な予算を投じて行うプロモーションが意味をなさない状況下で、楽曲リリースの延期が多く見られた。しかし、コロナ渦においても自宅でレコーディングし楽曲をリリースしているインディペンデントのアーティストもいた。楽曲のプロモーションは、ソーシャルメディアを駆使してオンラインで行なわれていた。
ポスト・コロナの社会、働き方が大きく変容している今、アーティストも改めて自分の理想とするビジネス・スタイルを考え、その中にインディペンデントという自立したアーティスト活動を視野に入れ模索する時期に突入しているのではないか。