XANインタビュー 初リリースがバイラル1位、サンクラ発・新鋭ラッパーが「SKI MASK」でみせる未知の才能とセンス
SoundCloudから現れ、2022年10月にリリースされた初の配信作品「PROMISE」に収録の「SKI MASK」が先日から話題となり、Spotifyの国内バイラルチャートで多くの有名アーティストをおさえ突如1位になったのが、新潟出身で現在横浜を拠点に活動するラッパー・XAN(クザン)だ。インディペンデントな新鋭ラッパーによる今回の快挙、まだ明らかになっていない部分も多いXANの初インタビューをお届けする。
テンタシオンに救われた学生時代
——現在「SKI MASK」が話題沸騰中のXANさんですが、まず人生で最初に音楽に興味をもったきっかけを教えてください。
小学生の頃なんですけど、母と兄がDREAMS COME TRUEとEXILEの曲を車とかでよく流していて、ライブにも一緒に連れて行ってもらったりしてたんですけど、歌うこと自体その頃から好きだったので、自然と歌詞を覚えて歌ったり真似して踊ったりしたのが音楽に興味を持ったきっかけだと思います。僕の兄が高校と大学でヒップホップダンスをやっていたんですけど、僕も兄の真似をしてヒップホップダンススクールに1年半くらい通っていた時があって、そのスクールで踊ってた数々のヒップホップの曲を聴いていくうちにヒップホップに興味を持ち始めました。
——そのように興味を持ってから、影響を受けたアーティストや楽曲をあげるなら?
XXXTENTACIONの「Jocelyn Flores」です。テンタシオンとこの曲は僕を救ってくれたんです。僕は中学校から高校は良い思い出より悪い思い出の方が多くて、俗に言うイジメだったり、友人と揉めたり、友人に裏切られたり、自分が嫌だなって思ったりしてひたすら病んでることが多くて、本当に死のうと思ってた時期があったんです。その時にいつも寄り添ってくれたのがテンタシオンのこの曲だったんです。俺もいつか曲で人に寄り添えたら、自分の気持ちを共感させられたらなって思わせてくれたのが彼でした。
地元の仲間と夜中にサイファー
——音楽が支えになったんですね。ラップをはじめたきっかけやタイミングも学生の頃ですか?
ラップを始めたのは、自分が高校生の頃に地元の先輩達がMCバトルのイベントを地元の小さい箱で開いてたんですけど、そこに出るためにMCバトルを始めたのがきっかけでした。当時は高校生ラップ選手権とかMCバトルが周りでめちゃくちゃ流行ってたので、自然と僕もMCバトルにハマって、夜暇な日があれば5、6人で集まって公民館の裏とかで夜中にサイファーしたりしてた仲良し地元グループがあって、彼らとの思い出がけっこう僕の中でも大きいですね。そのサイファーのメンバーとはここ数年は年末に絶対集まって年越しパーティーをしてます(笑)。
——ラップをはじめて、アーティスト名を“XAN”にされたのはどういった経緯なのでしょうか?
XXXTENTACIONに憧れを持っていたのもあって、どうしても“X”を名前に入れたかったんです。それで超くだらないんですけど、僕めちゃくちゃ睡眠が深くて(笑)。眠剤飲んでるレベルで寝るし、よく病むけど俺はXanaxなんてやらないよって意味も込めて、Xanaxの単語の文字を取ってXANって名前にしました。読み方も“ザン”だとありきたりなんで、Xを“クロス”とも読めるから無理やり読み方を濁して“クザン”にしました。あと好きなアニメのキャラがONE PIECEの海軍の大将の“青雉”ってキャラで、彼の本名がクザンなんですよ。で、彼のモットーが“だらけきった正義”で、俺もよく寝るしだらけてるしめっちゃ合うやんってなったのも理由です(笑)。
——色んなミーニングのあるアーティスト名なんですね。はじめて作った曲とかは覚えていますか?
一番最初に作った曲は高校3年の時に作ったやつで、当時Sound Cloudに上げててもう消してしまったんですけど「Rhythm」っていう曲です。先ほど話したサイファーのメンバーのうちの1人で、僕の一個上で当時一番遊んでた人が、仲良くなってしばらくして曲を作り始めたんです。それで「お前も曲作ってみろよ!」って言われて、YouTubeで「type beat trap」って検索して上から3番目くらいのビートで歌詞を書いて、後日ドライブしてる時にその人の目の前で歌って聴かせてみたら、「これいいじゃん!一緒にスタジオ行こう」って言われて。で、新潟市のレコーディングスタジオに連れて行ってもらった時に録って完成した曲が「Rhythm」でした。
新潟から横浜へ
——はじめての曲にも関わらず第三者から評価されるクオリティだったんですね。XANさんは新潟の十日町市ご出身ということですが、その後、横浜に活動拠点を移されますよね。
拠点を移そうっていう気持ちにきっかけをくれたのは、僕と同じ新潟出身で、一緒に音楽してくれてた仲間でラッパーのYvng Patraです。彼は僕より1年半早く上京して関東でさらにどんどん大きくなっていって。そんな彼の姿を見てすごく嬉しい反面とても悔しくて、俺はこのままでいいのかなって。そういう時に、2021年の12月に東京の渋谷でゲストライブのブッキングをいただいて関東初ライブをさせてもらったんですけど、関東の沢山のファン達が自分のライブでクソ盛り上がってくれて、その光景が忘れられなくて「俺も上京して本気で音楽したい」って思ったのもきっかけとなりました。横浜を拠点に選んだのは、現在一緒に横浜で活動してるラッパーのMadaler kidと周りの仲間たちが僕を迎え入れてくれたのがすごく大きかったです。
——Yvng Patraさんは先日リリースされたアルバムが注目されてますし、そういったつながりがあるんですね。XANさんの動きとしては、サンクラを上手に活用されている印象があります。
一番最初にサンクラに出した「Rhythm」が新潟で少し話題になったんです。「こんなやついたんだ!」って言われたのがすごい嬉しくて。当時聴いてた曲もサンクラが多かったのもあって、ハマるように曲を沢山作って頻繁にサンクラにアップするようになった感じです。