Rommy Montana インタビュー ヒット曲を次々に生み出すプロデューサーで、人気ヒップホップチャンネル 03- Performanceのファウンダーでもある次世代シーンのキーパーソンが語るクリエイティビティ

2023.8.29

Rommy Montana

国内ヒップホップシーンに新しい風を吹かせている『03- Performance』。この人気ヒップホップYouTubeチャンネルをきっかけにWatsonをはじめとした新世代のラッパーが次々と台頭している。そのファウンダーであるRommy Montanaは同チャンネルの代表として、また自ら映像を制作するディレクター、さらにSpotifyのバイラルチャートにも入るヒット曲を次々と生み出すビートメイカー/プロデューサーといくつもの顔を持ち、それぞれのフィールドで大きな存在感を示している。この数年の短期間で、手がけたものをことごとくスケールさせてきたRommy Montanaとはどんな人物なのか。クリエイティブに対する想いからその思考にいたるまで話を聞いた。
 
取材・文 : Jiro Honda
 
 

異色のキャリア変遷

——Rommyさんは以前YouTubeのインタビューでチーフ・キーフに影響を受けたと話されていましたね。

中学の後半、高校のはじめくらいからUSのヒップホップを聴き始めたんです。VICEの動画だったかな、それでチーフ・キーフを知って。それまでヒップホップにあまり触れていなかったので衝撃でした。すごいかっこいいなと思って。そこから色々ディグるようになりました。

——Rommy Montanaというお名前もヒップホップのカルチャーに強く影響した映画『スカーフェイス』の主人公が由来?

ですね。

——このカルチャーのどういうところにRommyさんは一番惹かれたのでしょうか?

それを言語化するのはけっこう難しいんですけど、例えば僕らの世代って漫画の『クローズ』が流行ったりしてて、いわゆる不良や悪そうな雰囲気、それに伴う友情とか、そういうのに男だったら少なからず惹かれる部分ってあると思うんです。それの延長というか。

——そういった要素を含んだカルチャーとして一番かっこいいと感じたのがヒップホップだったと。

そうですね。

——Rommyさんは現在プロデューサー/ビートメイカー、映像ディレクター、そして03- Performanceの代表と幅広く活躍されていますが、たしか大学生の時にビートメイクを始められたとか。

そうです。大学在学中にビートメイクと映像も始めました。まだその時は趣味という感じで、行ってた大学も卒業したら全員就職するみたいな雰囲気があったんで、一旦就職してみようということで外資系の銀行に就職しました。

——異色のキャリアですよね。どれくらい銀行で働いていたんですか?

1年半くらいです。働きはじめて早々に自分と同僚との考え方やセンスの違いに気づいてしまって。そのまま働き続けていれば収入は安定したと思うんですけど、自分のなりたい姿からどんどんかけ離れていく気がしたんです。銀行で働いていたときにずっと感じていたのは、ちょっと語弊がありますけど、この仕事って自分じゃなくても全然できるなっていう。自分が作る音楽や映像は自分にしか作れないものだけど、誰でも代わりのきく歯車になっていくように感じて。

——辞める時には、今後はもう映像とビートメイカーでやっていく予定だった?

実はその時点では映像は考えてなくて、ビートだけでやっていこうと思ってました。

——その時すでにビートメイカーとして生活できていた?

いえ、全然ですね。まだ自分のビートを使ってくれる人はほぼいなかったんですけど、絶対やっていけるっていう自信はありました。とはいえそんな状況だったんで、銀行員時代の貯金も尽きて一時期は借金生活で。銀行員を辞めた時に小さいながらスタジオを作ったんですけど、それがどんどん赤字になっていって。それで何とかしなきゃってことで、映像も作れるからもう一回やってみようっていうことで映像制作を再開しました。

——じゃあその時はまだ03- Performanceの構想はなかった?

なかったです。映像は切羽詰まってもう一度はじめたっていう感じだったんで。そこからビートメイカーと映像ディレクターっていう2足のわらじになって。

——Watsonさんと出会って「reoccurring dream」が生まれたのはその後ですよね?

ですね。ビートメイカーとしてあそこまでヒットした曲は初めてだったんで、あの曲はビートメイカーのキャリアにおいては一つのターニングポイントだったのかなと。

 
——ちなみにお二人はどうやって知り合ったんですか?

インスタのDMです。自分の映像制作会社INK FILMのアカウントでMV撮りますってアナウンスしたら彼から問い合わせがあって、それで一緒に「Pull」のMVを作りました。それが映像制作に本腰を入れはじめた初期の頃ですね。

 

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