GINTAインタビュー 「UCHIDA 1」が国内外で大きくバイラル 新たな道を選んだGINTAの進化と大きな夢

インタビュー
2024.11.20
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今年3月31日にRepezen Foxxを脱退し、ソロアーティストとしての再スタートを切ったGINTA。7月1日にリリースしたODAKEiとのコラボ楽曲「UCHIDA 1」は、Billboard JAPANチャート「TikTok Weekly Top 20」でも2位ランクインを記録するなど、日本国内のみならず海外の著名アーティストやインフルエンサーからの動画投稿も相次ぎロングヒットとなっている。とびきりハイテンションなフレーズと、グラミー賞受賞の経験を持つプロデューサー・Ricky Lunaによるビナハウスのトラックが爆発的な化学反応を起こし、彼らの本名である“UCHIDA”とともに世界中のSNSユーザーに浸透中。今回のインタビューでは、音楽にかける熱い思いから『UCHIDA 1』を巡る壮大な展望まで語ってくれた。

 
取材・文 : サイトウマサヒロ

 
 
自分が聴いて楽しむための音楽を自分で作ってる

——GINTAさんは、Repezen Foxx在籍時から自身で作詞作曲を手がけてソロ楽曲をリリースしていましたよね。

元々は音楽が得意じゃなかったんですよね。だから、当時(DJ)社長が「これからは曲を作っていくぞ!」って言った時も「うわー、俺苦手だ」と思ってて。レコーディングしても全然下手くそで。だから、それが悔しくて家で練習しているうちに、どんどん音楽が好きになった感じです。

——音楽キャリアのスタートは、グループの方針に従ったのがきっかけだったんですね。作詞作曲のスキルはどのように身につけたんですか?

特に何かを参考にしたわけではなくて、ただ家でずっと作ってただけです。YouTubeにあるフリービートに合わせて、ずっと歌詞を書いたりしてましたね。

——そこから現在まで、どのようにモチベーションが上がっていったのでしょうか?

やればやるほど、めちゃくちゃ楽しくなっていって。「Way Back Home」や「XOXO」の再生数が伸びて、もっとやりたい、一人でもっと作りたいと思うようになっていきました。

——ということは、GINTAさんの感じていた「楽しさ」とは数字の面でヒットが生まれることの達成感?

もちろん数字が伸びるのも嬉しいんですけど、やっぱり作ってる時が楽しいっていうか。「カッコいいやん、この曲!」って感じた時の気持ちよさが好きですね。あとは、僕は基本的に自分の曲しか聴かないから、出来た曲を運転するときのドライブソングにしてて。自分が聴いて楽しむための音楽を自分で作ってるっていう感覚に近いのかもしれないです。

——自身で曲作りを始める前は、リスナーとしてどのような音楽を聴いてきましたか?

やっぱりAK-69さんを一番聴いてたかな。やっぱりその時代はAKさんが圧倒的に独占していて、着メロもみんなAKさんだったから、自然に入ってきて。

——では、自身の楽曲にも国内のHIPHOPの影響が色濃い?

いや、特に誰かに影響を受けたっていうことはないですね。ジャンルにとらわれたくないし、色んな音楽をやっていきたい。これまでリリースした曲も、四つ打ちからHIPHOPなビートまで、いろいろあって。枠に縛られずにいたいと思ってます。

 
 
遊びも仕事も全力の経営者に

——現在はどのような体制で活動されているんですか?

僕を合わせて4人の会社で動いてて。高校からの幼馴染がマネージャーをやってくれていて、あとはお金関係やグッズ制作などをやってくれている人が一人。そしてもう一人が、インスタで出会っためっちゃ気合い入ってる年下の子で。16歳くらいからレゲエやHIPHOP系の音楽をやってたんですけど、「GINTA君のためだったら音楽辞めてサポートします!」って連絡してきたんですよ。自分のやりたいことを捨ててまでやってくれる人なんてなかなかいないですよね。いまはその4人です。

——どこかの事務所に所属して活動する選択肢もあったと思いますが、独立を選んだ理由は?

人に迷惑をかけるのが嫌なので。僕が事務所に所属したら、たぶん問題とか起こして普通に迷惑かけちゃうんで(笑)。後から賠償とかになったらマジで困るから、迷惑かけるのも最小限にしようと。

あとは、やっぱり事務所に入ったら上の人から細かく色々言われたりするじゃないですか。「ちょっと遊ぶの控えなさい」とか。僕、遊ぶの大好きなんで。いただくお仕事でも、なるべく長期の仕事は受けないようにしてます。

——だから野球チームも一日で戦力外に(笑)(※GINTAは今年5月にプロ野球独立リーグの九州アジアリーグに所属する北九州下関フェニックスに入団、6月9日にデビュー戦を迎えるも、6月10日に戦力外通告を受けた)。

そんな感じです(笑)。いつ問題起こすかわかんないんで、人に迷惑かけないように。

——遊びも音楽も全力で続けるための選択が会社設立だったと。経営者という目線に立ってみて、これまで見えなかったものも見えてきたのではないでしょうか。

そうですね。やっぱり常にお金のことを……本当は考えたくないんですけど、考え続けないといけなくて、大変だなと。曲を作るのにもMVを作るのにも費用がかかるし、そこから従業員のお金も払っていくと思うと、大変で。「UCHIDA 1」も400万円ぐらいかけました。アメリカに行ってMV撮影もしたり。

——でもあくまで、作りたいものを作ることが最優先?

そうですね。一か八かや!って思いながら。経営者って、僕が想像してたよりもずっとハードルが高かったです。

——もっとスタイリッシュなイメージを抱いていた?

そうそう。でも、本当は一番動かないといけない人なんだなと思って。じゃないと誰も付いてこない。泥臭くやってます。

——グループのメンバーとして活動していた時とは、やっぱり見えている世界が違うんですね。

全く違いますね。でも、自分で決められるのはめっちゃ楽しいなって思います。誰かに言われたことじゃなくて、自分で決めたもので成果が出た時って、やっぱり一番気持ちいいっていうか、脳汁めっちゃ出るんで。

——そういった立場の変化を経た今、レペゼンの活動を振り返ってみて感じることはありますか?

正直な話、改めて振り返ると、レペゼンってマジでポテンシャルの塊みたいなヤツらが集まってたなと思うんですよ。だから「XOXO」みたいな曲が出来たし。もう過去の話だからアレですけど、やっぱりあの5人で音楽を本気でやってたら、ヤバいことになってたんじゃないかなって。全員で一年間、YouTubeのことも配信のこともライブのことも考えずに、楽曲制作を五人の100%の力でやってみたかったなっていうのは、いま一人になって感じます。

——今年4月からはクラブツアーで『0START TOUR』で全国を巡りました。

ファンの方の存在が何よりも嬉しかったですね。レペゼンを辞めても来てくれて、「なんでこんなに叩かれてる俺のことをまだ応援してくれるんだろう?」みたいな。だから、その人たちに「応援してよかった」って思わせないといけないなと。

——ライブをこなしていく中で、パフォーマンス面での成長は感じましたか?

たくさん感じました。声も出るようになったし、ライブが上手くなったような気がします。最初に比べたらレベルアップしたんじゃないかな。レペゼンではそもそもライブ自体がそこまで多くなかったけど、今回のツアーで20公演近くやったんで、自然と成長したし、曲の合間のMCだったりとか、色んなものを習得できました。

——一人でのステージの運び方もわかってきた?

こんなこと言っていいのかわかんないですけど、僕はやっぱり一人の方が好きなのかもしんないです。昔から、ライブ終わった後にご飯行くよっていう話になっても、気分が乗らなかったら一人でゆっくり過ごしたり。めちゃくちゃマイペースで気分屋なんですよね。一分後には違う気分になってたりするから。そういう意味では、一人が向いてるのかもしれないなと思います。もしかしたら。

 

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この記事の執筆者
サイトウマサヒロ
1995年生まれ、フリーのライター。インタビュー、ライブレポート、コラムなど書きます。