FANI インタビュー | バイト辞めてシーン駆け上がる京都発新鋭ラッパー

2024年12月、貧しい生活と一筋縄では行かない家庭環境をリアルかつポジティブに綴った楽曲「人生最高」をYouTubeにて公開し、RyuzoやMFSもSNS上で反応を示すなど、突如として注目を集めた京都発の新鋭ラッパー・FANI。高まる期待を背負って3月29日にリリースした1stアルバム『Out the 貧乏』は、そのタイトル通り、うだつが上がらない生活を変えたいという強い野望……というよりは、この一枚が人生を変えるに違いないという確信が音と言葉に説得力をみなぎらせている。「歯に沁みるアイスクリーム/夢見てるビックドリーム」(「奥歯痛い保険証ない」)「積み重ねる経験/楽しんでる底辺」(「底辺」)、「みんななんでかいないお父さん/僕はラッキー二人いるんだ」(「人生最高」)。パンチラインの数々はどれも生々しいが、それ以上に彼の前向きさとユーモアが痛快極まりない。
アルバムリリースを機にバイトを辞め、音楽一本のキャリアをスタートさせたFANI。本インタビューで、バックグラウンドや今後のビジョンはもちろん、言葉選びやエピソードの端々から感じられる彼の人間性も伝えることができれば幸いだ。
取材・文 : サイトウマサヒロ
過酷、だけどラッキーな生い立ち
──FANIさんの年齢は?
26歳です。1999年の早生まれです。
──出身は京都の樫原とのことですが、どんな場所だったんですか?
京都の端の方なんですけど、本当に何もないところです。HIPHOPのシーンとも特に縁がない場所で、ラップしてる先輩とかも聞いたことないです。10代はずっとそのあたりで過ごして、今はさらにもうちょっと田舎の方、山手側に行ったところで見つけた安いスタジオを借りて住んでます。
──家庭環境については楽曲でも詳しく語られていますね。「人生最高」のリリックによれば、お母さんと2人のお兄さんがいらっしゃって、お父さんは“交代”したという。
保育園のお迎えの車の中で、おかんから二択を迫られたんですよ。「お父さんとお母さん、どっちと一緒に住みたい?」って。状況的に言ったらズルいですよね。目の前にいるおかんとしか答えようがなくて。それから、小学校に入る前に夜逃げみたいな形で一軒家に引っ越したんですけれど、到着したら2階で知らないおじさんが寝てて、「今日からお父さんや」的なことを言われて。
──その頃から「ウチは貧乏だ」みたいな意識はあったんですか?
昔、団地に住んでた時は周りも団地の子やったんで、あんまり貧乏だとも感じなくて。それから一軒家に引っ越したんで、むしろ「もしかしてお金持ちなんちゃう?」と思ってました。でもある時、ゴンチっていう友達と放課後にウチでゲームしようとしたら、コンセント刺さってるのにゲーム機も付かへんし、電気のボタン押しても付かへんし。で、電気が止まってるって気付いたんですよ。あとは、冬場に家に帰ってきたけどストーブが付かへんかったり。そういう些細なことの積み重ねで、多分貧乏なんやなって思うようになりました。
──なるほど。お母さんはどんな人なんですか?
めっちゃいい人ですよ。ずっと僕のことを考えてくれてますし、ご飯も美味しく作って育ててくれましたし。でもパチンコ好きやったんで、毎週日曜日はパチンコ行ってました。稼ぎがなかったわけではないかもしれないですけど、多分、お金を全部パチンコに使っていたんですよ。会わない時期もあったし、恨んだこともありました。けど今はすごく仲が良いですし、この前もライブを見に来てくれました。音楽のことも応援してくれてますね。
──家庭や経済の過酷なシチュエーションは楽曲にも反映されていますけれど、FANIさんの語り口は悲観的ではないどころか、ポジティブなバイブスがあります。
根がポジティブだと思うんです。それでも「地獄」っていう曲で歌われている高1〜高2くらいの時期は誰も頼る人がいなくて、かなり落ち込んでましたね。地元の仲良い友達も含めて、その頃の僕のことは誰も知らないですし。僕自身、負い目に感じて誰にも話せなかった。先生に心配されないように学校にはちゃんと行って、気丈に振舞ってましたけど、本当はお腹が空いて倒れそうでした。だけど、そのおかげで強い心を手に入れられたんやと思いますし、底辺の生活をへっちゃらで楽しめるんやと思います。でも、過去をポジティブに昇華できるようになったのはやっぱり歌にし始めてからかもしれないですね。
──そういったストラグルはリリックからも伝わってくるんですが、一方で環境や周りの人に対する恨み言みたいな言葉はあまり出てこないですよね。
僕の中で、もう恨むのは終わったんで。恨むよりも自分の中でそれを許して受け入れて向き合うっていう段階の方が、人間としてもう一歩上なのかなと思ってます。恨んでいるだけだったら自分自身も前に進めないですし、良いことないんで。今はあんま気にしてないですね。むしろこんな環境になったのもラッキーやなって思えるぐらい。じゃないと今こうしてラップできてないんで。
──「恨んでもしょうがない」というフェーズに進めたのはどのタイミングだったんですか?
高2から高3にかけて、おかんと全然会ってなかったんですけど、高校を卒業する頃に久々に会って、めちゃくちゃ泣いて謝ってくれたんです。人間である以上、僕でも親でも誰だって過ちは犯すものなんで、それをずっと引きずったまま生きてもしょうがないんですよ。僕が許したらそれで済む話なんで。おかんにも悪いところだけじゃなく良いところがあったんで、それをなしにして恨みっぱなしっていうのは嫌やなと思いました。
──「人生最高」のリリックでも「今では思える 全部ありがとう」と綴っていますもんね。
そうですね、本当に。
──お母さん以外の家族に音楽活動のことは伝えているんですか?
長男はもう何年も会ってないんで、知らないかもしれないですね。次男は「人生最高」のMVを送ったら既読が付いたんで、多分見てくれてるんちゃうかな(笑)。お父さんは色んな人に自慢してくれてます。「人生最高」も、笑い泣きしながら聴いてくれてましたよ。
